仮面ライダー龍騎の面白さを考察 13人の正義

映像作品
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仮面ライダー龍騎は、平成仮面ライダー三作品目として2002年2月〜2003年1月まで放送されていた仮面ライダーシリーズの作品です。多くの特撮は子供向けの作品という印象が強い中で、仮面ライダー龍騎は大人も楽しめるのではなく、大人が楽しめる作品となっています。

仮面ライダー=正義とする常識的な前提を覆し、仮面ライダーが正義のヒーローではなく、彼らは超人的な力を利己的な目的のために使います。仮面ライダーの力を、人殺しの道具として使う場合さえあります。

複雑な設定、人間関係、15人(疑似ライダー含む)も出てくる仮面ライダー達と、まだ僕が幼稚園児だった頃に見た仮面ライダー龍騎は理解できない点が多かったものの、何度も見返した今では大好きな作品です。

仮面ライダー龍騎は、鏡の中にミラーワールドというもう一つの世界が存在したらとするSFであり、ミラーワールドを行き来する手段として、仮面ライダーに変身します。ミラーワールドの中で他のライダーやモンスターと戦う仕組みが整ってあり、このライダーシステムを作った創始者が戦いを開始します。

敬愛する仮面ライダー龍騎の面白さをあえて1点だけ考えるとしたら、それは作中に絶対的な正義が存在しない点だと考えます。

以下、仮面ライダー龍騎のネタバレを交えながら仮面ライダー龍騎の魅力を語りますので、本作を未視聴の方はご注意ください。

仮面ライダー龍騎のストーリーを簡単に知りたい方は、以下の記事ではネタバレを避けておりますのでご覧ください。

13人によるヒーロー不在の戦い

仮面ライダー龍騎に登場する仮面ライダーは、前述の通りヒーローではありません。

仮面ライダー龍騎では、ライダー同士の戦い、つまり人間達の殺し合いがライダーシステムの存在意義となっています。生き残った最後の1人が大きな力を与えられるとライダーシステムの創始者からそそのかされ、選ばれた13人が殺し合いを始めます。

つまり、仮面ライダー龍騎はライダーという仮面を被った、職を持つ普通の人間同士によるバトルロワイヤルなのです。

作中ではモンスターという怪物が出現し民間人を襲います。そのモンスターを仮面ライダーが倒す場面は多くありますが、決して「民間人を守りたいから」ではなく、「モンスターを倒して強くなりたいから」戦うライダーが大半です。

ライダーにはモンスターと「契約」するシステムがあり、本来は敵であるはずのモンスター1体とライダーは共に戦うことができます。あくまで契約関係であるため仲間ではなく、契約を維持する条件として、モンスターに餌を与えることが挙げられます。

そして契約したモンスターの餌となるのが敵モンスターであり、契約を継続するため、仮面ライダーは敵モンスターを倒すのです。また、敵モンスターを倒して餌とすることで、契約したモンスターが強くなります。契約モンスターの強化は自己の強化に繋がり、他ライダーとの戦闘が優位に進むために、ライダーはこぞってモンスターを討伐するのです。

したがって、仮面ライダー龍騎においてライダーはモンスターを倒しますが、それは自分が強くなり、他のライダーを倒したいという利己的な目的のためであり、ヒーローとして戦うわけではありません。実際に、民間人を殺害し契約モンスターの餌として食べさせるライダーも存在します。

最後の1人になるまで他のライダーを殺して生き残り、願いを叶えるために、ライダー達は手段を問わず争います。

しかし、仮面ライダー龍騎ではライダー同士のバトルロワイヤルが創始者の思惑通りに機能したとは言いがたく、作中で戦いが上手く進まない点が何度も創始者により名言されていました。

ライダー同士の戦いが思い通りに機能しなかった要因である、ライダーシステムの欠陥についての考察はこちらをご覧ください。

ライダー同士の戦いが円滑に進まなかった理由の1つとして、全員が願いを叶えるために戦っていなかった点が挙げられます。

ライダーに変身し殺し合いに参加する者には多種多様な人がおり、全員が悪人ではありません。ライダーバトルに参加している13人と、ライダーバトルを壊そうとして参入した疑似ライダー2人の戦う理由をまとめます。

城戸 真司(龍騎)

・ライダーを含む人間を守るため

秋山 蓮(ナイト)

・恋人である小川恵里の意識を取り戻すため

北岡 秀一(ゾルダ)

・自己が患う不治の病を治し生きるため

浅倉 威(王蛇)

・戦いそのものが目的

香川 英行(疑似ライダー1)

・ミラーワールドを閉じるため

神崎 士郎(オーディン)

・妹の優衣の命を助けるため

佐野 満(インペラー)

・金持ちになるため

芝浦 淳(ガイ)

・戦いを楽しむため

須藤 雅史(シザース)

・殺人を含む悪事をラクに行うため(明確な理由不明)

高見沢 逸郎(ベルデ)

・他人を蹴落としたいため

手塚 海之(ライア)

・ライダー同士の戦いを止めるため

東條 悟(タイガ)

・勝利し英雄になるため

仲村 創(疑似ライダー2)  

・ミラーワールドを閉じるため

霧島 美穂(ファム)

・死んだ姉を生き返らせるため

ニセ城戸真司(リュウガ版)

・ミラーワールドの世界から現実の住人になるため

このようにライダー達が戦う動機を見ると、1.殺し合いを止めたい、2.殺し合いに勝利して願いを叶えたい、3.殺し合いそのものを楽しみたい、とする3つの目的に大別できます。

余談となりますが、北岡の戦いには胸をうつものがあり、北岡について別の記事でまとめています。

バトルロワイヤルの存在意義である「願いを叶えるため」の戦闘を否定する者もライダーになっているため、ライダー同士の戦いが創始者の思ったようには機能しなかったのかもしれません。

仮面ライダー龍騎において、あえて正義を定義するなら、常識的には1.殺し合いを止めたい、つまりライダー同士の争いを否定する人間が正義とされそうなものです。主人公である城戸も「殺し合いを止めたい」という動機で戦っており、何度も戦いを辞めさせようとします。

しかし、作中では決して主人公:城戸を含む「殺し合いを止めたい」ライダーが正義とされることはなく、むしろ「ミラーワールドを閉じることで殺し合いを止めたい」と考えている香川や中村は城戸の敵として登場します。

なぜ一見利害が一致しそうな城戸と、香川・中村が対立するかというと、ライダー同士の戦いの止め方、方法論に意見の相違があるためであり、殺し合いを止めたい者同士で皮肉にも殺し合いが始まってしまいます。

このように絶対善は存在せず、正義とは何かという哲学的命題に対して命を懸けて若者達が全身で挑む作品、それが仮面ライダー龍騎です。

正義までの道

当然、正義を模索する中で答えはすぐに出るものではなく、テレビドラマ版、映画版、テレビスペシャル版と、異なる世界線で何度も各々のライダーが正義と向き合う姿を見ることができます。

複雑なことに仮面ライダー龍騎の世界はパラレルワールドであり、トリックベントという時間を戻して世界をやり直す仕組みがあることで、何通りもの世界線が存在します。テレビドラマ版は仮面ライダー龍騎の世界線の1つに過ぎず、映画版、テレビスペシャル版は異なる世界線、物語となっています。

テレビドラマ版の終盤、ライダーというシステムを知ったベテランジャーナリスト(城戸の上司)が、「ライダー同士の戦いにおいて、正義はいない。」と明言します。主人公である城戸の上司でもあり、城戸の戦う理由を知った上で、「絶対的な正義はいない」とあえて言葉にしたことこそが、仮面ライダー龍騎が伝えたかった正義なのではないでしょうか。

「モンスターから民間人を守りたい」

「ライダー同士の戦いを止めたい」

すなわち、「ライダーを含む、人間達を守りたい」という正義を掲げて変身する城戸は、最後の最後まで悩み続けます。

城戸は物語の前半、「ライダー同士の戦いは間違っている」と断言します。城戸の中で命を粗末にする野蛮な人達=仮面ライダーという図式が成り立っており、まるで啓発するかのように「ライダー同士の戦いは辞めろ」とライダー達に忠告します。

しかし、各ライダーに戦う理由があることを知り、自分の命を捨ててでも願いを叶えたい人達の覚悟を前にして、「自分に戦いを止める権利はあるのか?」と自問自答します。

また、ライダーシステムの創始者は、妹である優衣の命を助けるためにライダーシステムを作ったことが明かされると、優衣と親密な関係である城戸は自己の当初の信念を曲げて、優衣を助けるためにライダーと戦おうとします。

優衣に「他の人を殺して助けられても嬉しくない。」と告げられた城戸は戦いを止めるものの、ライダーとしてどうするべきか葛藤します。

城戸は最終回の1話前で、命を落とします。絶命する瞬間、城戸は改めて「ライダー同士の戦いを止めたい。」と相棒のような関係になった秋山に告白します。

迷い続けた結果、当初のライダー同士の戦いは間違っているという結論に落ち着いたように見えますが、城戸は言葉を続けます。

「それが正しいかどうかじゃなくて。ライダーの1人として、叶えたい願いが、それなんだ。」

と言葉を残し、城戸は命を落としました。

つまり、正しい自分が野蛮なライダー達を啓発するという、神のような視点でライダーを見るのではなく、ライダーをリスペクトした上で同じ目線に立ち、一個人のライダーとして「戦いを止めたい」と願うようになったのです。

初期の城戸は、絶対的な正義が世の中にあり、その正義は自分であると考えていたことでしょう。しかし、物語終盤にはライダー同士の戦いを通じ、正しいのか間違っているのかは分からないものの、殺し合いゲームの参加者として「自分の正義を守るために、戦いを止めたい」と考えたのです。

異なる正義

もう一点、興味深いのは、映画版、テレビスペシャル版では城戸が出す答えが異なることです。前述したように、仮面ライダー龍騎の世界はパラレルワールドであり、何通りもの世界線が存在します。

当然、登場人物が歩む人生も世界線ごとに異なっており、細かい点で登場人物の性格や言動に違いが見られます。城戸も例に漏れず、映画版では秋山と戦うことを承認し、テレビスペシャル版では(視聴者の投票によって)戦いを続けることか、戦いを止めることを選択します。

しかし、テレビドラマ版で命を落とす直前に城戸が放った言葉は重く、城戸がたどり着いた1つの答えとして、最も重要な意味を持つのではないでしょうか。

願いを叶えるため、人間同士で殺し合いを行う存在であるライダーは、一見すると間違っているように思われます。

ただし、ライダー同士の内側に入り込むと各々のライダーに論理があり、正義があり、決して「正しい」とも「間違っている」とも言えません。

毎週日曜の朝8時から8時30分まで特撮作品として、この世には明確な善悪がないことを放送したヒーロー不在の仮面ライダー。

分かりやすい正義や悪が描かれがちな特撮において、殺し合いを通じた悲しみ、苦悩や葛藤を描くことで、あえて絶対的な正義はないのだと伝える仮面ライダー龍騎という作品は、僕にとってのヒーローであり続けるでしょう。

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