ロングバケーション(ロンバケ)の感想・考察:25歳が見る

映像作品
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ロングバケーションことロンバケは、1996年(平成8年)にフジテレビの月9として放送されました。

主演は木村拓哉(当時23歳)と山口智子(当時31歳)で、初回視聴率30.6%、最終回で36.7%と最高視聴率を記録した伝説のドラマです。

月曜日はOLが街から消える”とまで言われるほどの人気を誇り、ドラマの影響でピアノを習い始める男性が増えるなど、社会現象を巻き起こし、‟ロンバケ現象”とも呼ばれました(引用)。

数々の名作ドラマを産んできた木村さんは、連続ドラマ初主演作品がこのロンバケでした。

僕は木村さんのドラマ、通称キムタクドラマが大好きではあるものの、僕が生まれる前に放送されたドラマであることもあり、未だロンバケを見たことはありませんでした。

率直な感想としては、1996年に放送されたこともあり、今であればクレームがきそうな、全国の電波で流すには少し時代錯誤を感じる部分もありました。

しかし名作の名に相応しく、当時の若い人たちの心に刺さったことも納得の素晴らしい作品でした。

僕が生まれる前に放送されたこのロンバケを、Tverで再放送されたことをきっかけに全話鑑賞したので、感想や考察を述べたいと思います。

※この記事はネタバレを含みます。

ピアニスト瀬名(木村拓哉)

珍しいキムタクドラマ

木村さんが主演するドラマの多くは、概して以下のような構造になっていると思います。

-以前木村さんは〇〇として名を馳せていた。
-しかし、最近は色々あり表に出てこなかった。
-ある日、ひょんなことから表の世界に戻り始めた〇〇は、人とは違う発想や性格、能力を見せ唯一無二の存在感を放ち活躍する。

木村さんはドラマの中でまさに主人公でありヒーローであり、木村さんが主導し物語を展開させていく姿は役者:木村拓哉にしか出せないでしょう。

ただ、今作は上記のような一般的なキムタクドラマとは異なり、まだあどけなく少し弱々しさのある木村さんが見られます。

どちらかと言うと山口智子さんがであり、木村さんはのような受けの演技に見えました。

そのような演技をする木村さんは珍しく、今となっては新鮮に映りました。

瀬名秀俊(24歳)

木村さんが演じる瀬名は大学院入試に失敗し、現在は音楽教室講師で生計を立てているピアニストです。

一般的なキムタクドラマであれば瀬名は物語の最初から活躍しそうなものですが、今作では後輩の奥沢涼子(松たか子)の方が圧倒的にピアノの才能があり、終盤にようやくピアニストとして日の目を見るものの、瀬名は劣ったピアニストとして生活します。

ピアニストになりたい夢はあるものの才能が追いつかず、また涼子に思いを寄せるもののフラれてしまう、頼りない部分が目立ちます。

ただ、優しさは誰よりもある人間として描かれており、バイトをしている音楽教室での教え子である斉藤貴子(広末涼子)からは、作中で唯一心を開かれている大人でした。

しかし、瀬名が良かれと思って取った言動は葉山真二(竹野内豊)と涼子を引き合わせることに繋がり、真二は彼女である氷室ルミ子(りょう)から離れて行ってしまうため、結果としてルミ子を傷つけることになってしまいます。

そのこともあり、ルミ子に「瀬名さんは優しいけれど、色々な人をちょっとずつ傷つけてる」と言われてしまい、瀬名の優しさまでも咎められてしまいました。

このように、少し情けない瀬名は良い意味で木村さんのスター感が薄く、当時の若い視聴者は夢を追う青臭い瀬名に感情移入していたのかもしれません。

自分の幸せより涼子の幸せを優先し身を引く瀬名でしたが、8話で葉山南(山口智子)が交際中の杉崎哲也(豊原功補)の魅力を語る場面では、意外にも杉崎を少し下げるような発言をしており、あの優しい瀬名が攻撃的になるほど南に嫉妬していることが明確に描かれています。

24歳の瀬名はそれほど31歳の南に惚れ込んでおり、クライマックスに向けて南との恋が成就しそうになるのと同時並行で、徐々にピアノでも脚光を浴び始める王道の展開です。

ついでながら、瀬名は老若男女問わずあらゆる登場人物から見た目が「かっこいい」と言われます。最終回では、ビジュアルの良さゆえにピアノのスカウトから引き抜かれそうになりました。

ピアノも恋も失敗が続いている少し情けない役所でありながらも、ここまで「かっこいい」と言われていることが当たり前に視聴者に受け入れられるのは、やはり木村拓哉さんのスター性だと思いました。

元・売れないモデル南(山口智子)

年齢の壁

南は結婚式当日に新郎に逃げられ、恥をかき、寿退社を逃した手負いの状態で登場します。31歳で結婚できていないことを、南の親や弟である真二から心配され続けます。

31歳という年齢が作中で何度もネックになり、モデル事務所でも仕事がなくなり退職することになります。

南は女性にとって30歳が1つの線であることが男性、女性の両性からのセリフから印象づけられる存在となっており、「女性は25歳から徐々に要注意なのに…」とまで言われます。

今であれば年齢で女性を縛るような発言は御法度であり、女性はクリスマスケーキという一昔前の誤った社会通念を感じさせます。

2話では瀬名から、2歳下の涼子と比較された上で「涼子は繊細、降ったばかりの雪。あんたみたいに、色々な人に踏みつけられた雪じゃない。」とまで言われており、30代女性として南の今作の立ち位置は明らかです。

モデル事務所を退社後、就職面接でもセクハラに合ってしまう昭和気質な男性達に直面しますが、それでも南は負けずに持ち前の明るさで元気に生活します。

瀬名が涼子に呼びだされ真夜中にフラれた場面では、瀬名を迎えに行くために赤いスポーツカーを豪快に乗りこなす場面もあり、働く強い大人女性として当時は憧れの対象だったのではないでしょうか。

男と女

このような南は所謂バリキャリ女子の先駆けかと思いきや、カメラマンの杉崎との恋で様子が変わります。

杉崎(おそらく35~40歳設定)からは「南ちゃん」と呼ばれており、杉崎からの告白を受けながら南は涙してしまい、「女性として扱ってくれることが嬉しく、普段は無理をしているという」趣旨の発言をします。

南の友人である小石川桃子(稲森いずみ)は、「男女の友情は嘘くさい。」「男女の友情っていうのはすれ違いつづけるタイミング、もしくは永遠の片思いのことを言うんです。」と言い放ちます。

このように、今作は男女が明確に分かれており、さらに「男らしく、 女らしく」のような社会的文化的性役割が明確に分かれている前提で物語が進みます。

この性別役割分担意識を打ち破るのが南なのかと思いきや、(作中における)一般的な女性らしくない存在である南が女性性を求めていた事実により、より男女の違いが強調されています。

南は瀬名から「いい年して親父ぶってるけどぶりっこ」、「結婚して人に幸せにしてもらおうとする他力本願やめたら」と言われており、南もまた当時の社会が求める女性像から抜けていない女性であることが示されています。

瀬名と南の接近とピアノ

恋が起こす奇跡

物語の序盤こそモテない扱いの南でしたが、終盤では瀬名と杉崎、2人の男性のどちらかを選ぶ立場になります。

杉崎はバツイチで子供もおり、大人の男性です。カメラマンとしての才能に恵まれ、収入も高いです。南から「どうやって写真を撮っているのか?」という旨の質問を受けた際には、言葉にし難いような感覚の話で答えており、天才さを感じます。

一方で瀬名は大学院に落ちている浪人生で、ピアノのコンクールでも結果が出ておらず、最後のコンクール直前までピアノを辞めようかと迷っている若者です。

それでも南は瀬名を励まし続けて、瀬名を選び、徐々に2人の思いが同じ方向を向いて重なり合います。

瀬名と南の恋が深まるにつれ、瀬名はピアノで少しずつ結果を出し始め、最終回ではコンクールで瀬名の演奏終了後にスタンディングオベーションが起こります。

そして見事に、瀬名は恋愛もピアノも結果を残し、コンクール優勝者の権利としてボストンでの生活の切符を手にしたのでした。

2つのテーマ

ロンバケは、性別」「年齢への焦り」がそれぞれキーワードとして挙げられると思います。

南ではなく誰が「男らしさ、女らしさ」を求める雰囲気を打ち破るかというと、それが瀬名だったのではないでしょうか。

瀬名と同い年である南の弟、真二は瀬名と対照的な人物です。

肉食系で活力があり、ピアノも以前は演奏していたが生活にならないと見切りをつけてやめています。

瀬名は前述のように弱々しい面がある草食系で、ピアノという(作中における)一般的な男性らしくないものに打ち込み、男なのに正社員ではありません。

口調も女性のようであり、怒って言い争いをしている時でも「〜でしょう」と常に荒い言葉遣いはしません。

そのような男らしくない男である瀬名が成功し社会的に認められることで、男性側から社会的文化的性役割を打ち破っているのだと思います。

南は杉崎と別れた後、「写真館に履歴書を応募しカメラの仕事を続ける」と発言しますが、瀬名から「一緒にボストンへ行こう」とプロポーズされ、当たり前のようにボストンで瀬名と南が結婚式を挙げています。

南が退職後、南とカメラの仕事の関係は不透明になっており、異国の地ということもあり南が外国でカメラの仕事を続けているか疑問が残ります。

結婚=幸せであり、南はやはり女性らしく、家庭を大切にしたのかもしれません。

もう1つ、今作は年齢を重ねることへの焦燥感もテーマだと思います

瀬名は年齢を重ねて他のキャリアへの可能性が閉じる前にピアノを辞めようとしており、南は序盤からモデルの仕事をやっていたこともあり年齢の壁に何度もぶつかります。

桃子は「仕事して自立して大人の女やってるけど中身は女の子。時々、ぶかぶかの靴を履いてる気がする。」「結婚したら変わるかなー、子供いたら変わるかなー。」と述べており、肉体の年齢が重なる一方で内面が追いつかないことへの焦りや苦悩を感じさせます。

年齢を重ねるにつれ仕事でも恋でも相応の振る舞いが求められ、若いままではいられないが、でもやはり上手くいかない、そのような若者の悩みに対して、実は2話で瀬名が答えを出しています。

「オレさ、いつも走る必要ないと思うんだよね。あるじゃん。何やってもうまくいかない時。何やってもダメな時。そういう時は、言い方変だけど、神様がくれたお休みだと思ってさ。無理に走らない、焦らない、頑張らない。」

2話目で焦りに対して答えを提示した瀬名は、これもまたコンクールでの下剋上により優勝という成功を収めることで、瀬名が導き出した答えが正しかったことを結果で証明しました。

現代は若者のコスパ志向、タイパ志向が言われますが、過ぎていく時間への焦燥感を感じるのは平成初期も令和初期も同じなのではないでしょうか。

現実世界では成功している若者である木村拓哉から言われるロングバケーションの大切さは、昔も今も若者に刺さる言葉だったでしょう。

このように、今作は作中を通じて提示される「性別」「年齢への焦り」の問題を、瀬名が南のサポートを得て実力と奇跡で押し退けていく物語だと思います。

神様がくれたお休み

ロンバケは1996年(平成8年)放送の作品ということもあり、所々で古さを感じさせ、その古さゆえの良さが多くあります。

例えば、スマホどころか携帯がないことですれ違いが起こり、家電をかけても不在だったり、相手のマンションに直接走って行ったり、そしてそこでばったり他の男といるの見てしまったりと、この時代ならではの演出がされています。

瀬名や南は、鍵やペンをやたらと口にくわえて行動しており、瀬名はBBQの際はトングで直接肉を食べるなど、どこかかっこよく見える所作を続けます。

そして流れるのがLA・LA・LA LOVE SONGや洋楽と、お洒落な音楽であり、脚本、キャスト、BGMと全てが高水準な名作ドラマでした。

一方で、時代独特の「性別」や「年齢」への社会通念を感じる場面も多く、そのような時代錯誤の一般論を瀬名と南が乗り越えていく物語だと思いました。

確かに女性はこうあるべき、という繊細なジェンダー論に容赦なく入っていく作品ではありますが、これが間違っているというわけではなく、当時の人々が共感する幸せの1つの在り方だったのだと思います。

性別や年齢で苦しむこともあるかもしれないけれど、上手くいかない時でも神様がくれたお休みだと思って焦らない。

月曜夜9時に日本中の人々が、恋の力で奇跡を起こす瀬名、7つ下のピアニストと結婚し幸せを手にする南から、ロングバケーションを満喫する勇気を貰っていたのではないでしょうか。

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