田舎は公立小中学校が多い「公立中学校の良さとは?」

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田舎の学校は公立ばかりです。よほど教育熱心な家庭でなければ、ほとんどの家庭はお子さんの学区域にある公立小学校、公立中学校に進学します。数字を見てみましょう。

東京では、公立の中高一貫校or私立中学校に進学した学生の割合、つまり中学受験を経験する学生の割合は全体の25.3%です(2017)。

一方、岩手県では中学受験を経験するのはわずか1.95%です(2017)。

あくまで受験経験者なので、実際に進学する学生の割合とは異なりますが、東京では生徒全体の約20%が受験を経て中学校に入学します。

学校の数も全く異なります。東京は国立中学校が6校、公立中学校は617校、私立中学校は182校です。国立:公立:私立=1:100:30くらいの割合です。

岩手では、国立中学校が1校、公立中学校が150校、私立中学校が3校です。比率を出すまでもなく、公立中学校が圧倒的に多いです。

岩手県で数少ない国立中学校、私立中学校に入った中学生は、大学進学を目指す高校へと入学し、大学受験をします。しかし、数字からも分かる通りこういった学生は少数派であり、ほとんどの中学生は入試を経験せず、家の近所にある公立中学校へ進学します。

このように、田舎というのは教育が整っておらず、選択肢が少ないような印象を受けます。中学受験を経験することは、高学歴への登竜門です。公立中学校にしか進学できない田舎というのは、人生が不利になるのでしょうか?

参考

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僕は、田舎の公立中学校は素晴らしいと思っています。僕自身も公立中学校に進学したのですが、もう一度学生生活をやり直すとしても、公立中学校に進学すると思います。以下では、公立中学校の特徴について、書いていきたいと思います。

多様性溢れる環境

受験を経験しない、ということは、当たり前ですが特定の地域にいる世帯の子供が同じ学校に通うということです。

つまり、何もスクリーニングされていない状態で中学校に入学しますので、非常に多様性溢れる環境が出来上がります。

勉強が得意、運動が得意、芸術が得意、少し不良、体力自慢の生徒…

個性が全く異なる種々多様な生徒が、同じ場所に、同時に集結するというアベンジャーズのような環境が公立中学校です。この環境は、高校以降は中々経験できる環境ではないと思います。

高校受験は、中高一貫に通う生徒を除いて基本的に誰もが経験します。つまり、高校では公立であっても個人の能力や志向性によってスクリーニングされるため、自分と似たような人が集まる環境で生活することになります。

例えば、勉強が得意な生徒であれば受験して進学校に入学します。周りには、自分と同じように勉強が好きな生徒ばかりです。簿記に興味がある生徒であれば、商業高校に進学するかもしれません。

大学も、もちろん受験があります。当然、自分と似た偏差値、似た志向を持つ学生に囲まれます。就職活動を終え入社した後も、同期や先輩は何となく自分と同じような人生を歩んだ人ばかりではないでしょうか。

学べる価値観

このように、高校以降は公立中学校のような、自分とは全く異なる人々に囲まれて生活する環境は貴重になるなのです。

しかし、自分とは異なる人から学ぶことは沢山あります。中学生という多感な時期であれば、学びの効果はより大きいと思います。

例を挙げると、月並みですが、「多様な価値観と触れられる」というのは公立中学校の強みだと思います。私立中学校で周りが勉強しかしていない環境では、勉強するのが当たり前ですし、勉強が(相対的に)得意な上位数%の生徒に尊敬が集まると思います。ですが、「勉強するのが当たり前」というのは、怖い考えなような気がします。

「勉強するのが当たり前」「勉強ができると立派」というのは、あくまで価値観の一つです。東大生は立派ですが、日本で一番優れているわけではないです。プロサッカー選手も芸術家も、サラリーマンも全て立派な生き方だと思います。大前提として、どんな生き方であっても尊重されるべきなのです。

しかし、一つに凝り固まった価値観の中で中学生活を過ごした学生は、大人になってからも柔軟な考え方を持てないのではないでしょうか?実際に、偏差値、年収と数字で人を測る生き方から抜け出せない高学歴な人を、筆者は何人も見てきました。

中学生という何者にでもなれる無限の可能性を秘めている時期から、画一的な価値観を持つ中高一貫校や私立中学校のような環境で育つのは、「果たして本当に子供のためになるのか?」と考えると、そんなことがないように思います。

一方で公立中学校では、生徒の価値観も家庭環境も何もかもが異なります。その環境の中で、生徒が「自分は何が得意なのか」「どの価値観が好きでどれが嫌いか」を考える機会に恵まれることは、人生を長い目で見たときに有意義なことだと思うのです。

公立中学校では、教師の質が低いという意見もあります。ですが、正確には「教師の個人差が大きい」だと思います。つまり、教師も生徒と同様に、多様な教師がいるのです。

勉強が大切だと思っている教師もいれば、授業はテキトーで部活に全力を出す教師もいるでしょう。厳しい教師も、優しい教師もいます。

生き方に一つの正解を提示しない公立中学校は、子供が伸び伸びと育つのに理想的な環境ではないでしょうか。

得られる多様な人脈

もう一つ、公立中学校で得られる人脈も魅力だと思います。

前述したように、高校以降は自分と同じような人に囲まれるので、人脈の幅も狭まっていきます。

しかし、公立中学校で仲良くなり、そのまま大人まで付き合いが続く友達は、自分とは全く異なる生き方をしています。かつて同じ空間で生活していた彼ら・彼女らは、今の自分とは大きく異なる仕事、生き方をしており、少し話を聞くだけで大いに刺激になります。

大人になってから人脈の大切さに気づきますが、公立中学校で得た友人というのは、日常生活では出会う機会が少ないような人達であり、貴重な人脈になると思います。

大学受験に限定して考えれば、中学校で「お受験」を経験した方が良いのかもしれません。

しかし、こと人生全体という広い視野で考えた時、何でもない公立中学校に入学するというのは、価値のあることだと思うのです。

現代は多様性の大切さを謳う世の中です。多様性は確かに大切です。

多様性を求めてお金を払い、立派な、高品質な教育を受けるのもいいかもしれません。

ですが、真の多様性というのは公立中学校にある、むしろ、公立中学校にしかないのではないでしょうか。

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