鯰絵の紹介&解説「どんな意味がある作品なのか」

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今回紹介するのは「鯰絵(なまずえ)」です。

鯰絵はナマズを題材に描かれた浮世絵の総称で、江戸時代の作品ですね。

初めて聞く方も多いと思いますが、調査してみたのでぜひ読んでみてください。

本の内容をまとめながら紹介します。

鯰絵についてのレポートを書きました

 浮世絵といえば風景画のイメージが強く、大学入試の日本史レベルの知識しか持っていなかったため、最初の頃は、漠然と「この絵は綺麗だ」とか、「この浮世絵の作者は葛飾北斎だ」と、表面的にしか浮世絵を鑑賞出来ませんでした。

しかし、今回調査にあたり多くの浮世絵作品に出会い、浮世絵には多くの場合、何らかのメッセージがこめられているのだと気づくにつれて、違った角度から浮世絵を見られるようになった気がします。

その中で最も面白いと感じたジャンルが、鯰絵です。

鯰とは、地震を知らせる、地震を起こす魚であると、現在も言い伝えられています。この鯰と地震に関する現在にも伝わる俗説が、今から約300年前の、18世紀の江戸時代から存在したとは驚きでした。

ある浮世絵作品内では、鯰が地震を起こす悪魔のような扱いを受けており、またある作品では、地震が起きたことで利益を得た人々によって、鯰が神様のように崇められています。

作品によって、鯰の描かれ方、扱われ方が全く異なるというのも、鯰絵の興味深い部分です。そして、これほどまで、作者により描かれ方が変わる対象とは珍しいのではないでしょうか。

実際に、「オランダの民俗学者アウエンハントは、『地震鯰は破壊者でもあると同時に守護神でもある。』と、一神で善悪の両方をかねそなえていることを指摘し、ヨーロッパではみられない思考である」¹と、『幕末江戸の文化 浮世絵と風刺画』で述べています。

このように、 鯰は福をもたらす善の神としても、地震という災害を引き起こす悪の神としても描かれており、鯰の二面性は興味深いものがあります。

考えてみると、誰かが得をすれば、誰かが損をするとは自然の摂理です。「しんよし原大なまづやらひ(新吉原大鯰やらい)」では、大工や左官などが鯰を助け、被害を受けている遊女等が鯰を攻撃しています。

この鯰絵では、誰かが地震で被害を受けている一方で、その地震で得をしている人がいる様子をまざまざと描いており、地震という一つの現象に対し、各々の悲喜を表現する鯰絵は人生の核を突いてくるような作品だと感じます。

鯰絵の出版が盛んになった時期を見てみると、安政の大地震後、すなわち1855年以降です。

この年号を見た時に真っ先に思いついたことは、ペリーの来航です。ペリーは、当時鎖国をしていた日本を開国させようと、1853年、1854年と黒船が浦賀に来航し、日本に大きな衝撃を与えています。

このペリー来航と、安政の大地震は時期が非常に近いです。そのため、地震だけでなく、ペリー来航の影響も表現している鯰絵は存在するのか、新たに興味が湧きました。

一つ興味深い作品を発見したので紹介します。 (八百万神御守護末代地震降伏之図)²

この作品では、地震を起こした張本人である鯰が頭を下げ、何らかの誓約の宣言をしている様子が描かれています。

気になるのは、この鯰絵の詞書である。  

近頃は外国のやつら、たびたびこの国へ参り、地の下でもうるさく存じ、亜米利加を力まかせにゆりつぶしたる尻尾はずみにのって、江戸表へ持ち出し、・・・・・幾重にもお許しお許しと・・・・・³

八百万神御守護末代地震降伏之図の詞書には、上のような文章が書かれているようです。ここから、ペリーの来航も、安政の大地震の直接の原因として受け取られていたように思われます。

鯰絵を描きだすことで、地震そのものだけでなく、直近の政治的な危機的出来事と地震を結びつけた思想を表現していたようです。

ペリー来航は、当時の日本にとって、 異邦人が訪問し開国を強要されるという、大地震の原因とされてしまうほどに、非常に衝撃的な出来事であったのだと思います。地震という災害の原因を、鯰であったり、ペリーであったり、生き物や出来事のせいにする考え方も、当時独特のものだと感じます。

作品による鯰の描かれ方の違い、そして大きな政治的出来事と鯰絵についてこうして考えてみると、鯰絵とは単に地震の報告をする作品ではないことが分かってきます。

鯰絵は、地震が起きたことだけを知らせるのではなくて、鯰に対する周囲の人の態度を通して、地震に対する民衆の反応を描いています。そのため、作品ごとに異なる鯰の扱われ方や、鯰を取り巻く周りの人々の反応や態度こそが、鯰絵の神髄なのではと思います。

鯰がこらしめられている作品では、地震の被害を恨む人々の心情を推し量り、表現しています。一方で、鯰が神のように崇められている作品では、地震で大きな利益を得た側の人々の、喜々とした気持ちを表現しています。

ある人達は鯰を守り、ある人達は鯰を責める作品は、誰かが得をすれば、誰かが損をする、生々しいこの世の摂理を描いているのではないでしょうか。

八百万神御守護末代地震降伏之図では、ペリーが来航したことの民衆のショックや不安を、大地震の原因としてなぞることで、来航がどれだけの衝撃であったのかを表現しているのです。

鯰はただ地震そのもののシンボルなのではなく、地震が起こったことにより生じた、民衆の気持ちやこの世の辛い、不条理な現実を、表現するための存在として描かれているのではないでしょうか。

鯰絵を鑑賞する際には、鯰を通じてどのような世相を表示しているのかに、注目すべきだと考えます。

<参考文献>

南和男『幕末江戸の文化 浮世絵と風刺画』、塙書房、1998

「『憂世』から『浮世』絵」、

(http://5orb.net/ukiyoe2/Catfish1/cat1/006.html )

C.アウエハント『鯰絵――民俗的想像力の世界』、岩波書店、2013

鯰絵の本を紹介

では、鯰絵について調べるにあたり使用した文献を紹介します。

非常に読みやすい本でしたので、鯰絵について気になる方は読んでみてください。

鯰絵の両義性

読んでいただけましたでしょうか?

ブログにこのような長い文章を書くべきなんですかね?とは思ったので、下で一行に要約しました。

鯰絵とは、地震の象徴である鯰の扱われ方によって、人々の生活と地震の関係が理解できる作品。

歴史の勉強というと年号や人物を覚えるのに必死ですが、日本の文化が詰まっている浮世絵鑑賞もまた楽しいですね。

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