ロケットが宇宙に飛ぶまで<書評>「宇宙に命はあるのか」

作品の感想
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今回紹介するのは、小野雅裕さん著の「宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八」です。

民間人である前澤友作氏が2021年12月8日から12日間宇宙に滞在したように、宇宙は身近な存在になってきています。

宇宙の話を聞くとワクワクする人も多いと思います。

この本は、難しい理系的知識を用いずに宇宙開発について紹介しています。

一言要約

人間の想像力が宇宙開発を突き動かしてきた。

ジュール・ベルヌとヘルマン・オーベルト

今から紹介するのは、ロケットが完成するまでのお話です。
この本では、宇宙開発の具体的な出来事を収録しています。

以下では、記述内容の具体例として、どのように宇宙に飛ぶロケットが生まれ、実際に宇宙まで飛んでいったのか、中心となる人物の功績をまとめながら紹介します。

小説家であるジュール・ベルヌが宇宙開発に果たした功績は大きいです。ベルヌはフランスの小説家であり、SFの父とも呼ばれます。1865年に出版した『地球から月へ』という小説は大ベストセラーになり、その後の科学者達に大きな影響を与えることになりました。

宇宙ロケットの父であるヘルマン・オーベルトは、『地球から月へ』に夢中になった一人です。

『地球から月へ』は地球から月へ行くSFでありますが、ロケットではなく砲弾に乗り旅をしています。当時のロケットは技術的に時代遅れており、ロケットで宇宙に行くとは誰も想像ができませんでした。

しかし、ヘルマン・オーベルトなどロケットの父と呼ばれた科学者達が、ロケットで宇宙に行けることを発見したのです。残念ながら、当時はロケットで宇宙に行くという考えがあまり受け入れられず、ロケットの父達は周囲の理解を得られなかったようです。

実際、オーベルトは、ロケットによる宇宙飛行をテーマにした論文を博士論文として提出するが受理されず、博士課程を退学してしまいます。オーベルトの世代ではロケット開発を達成できなかったものの、却下された博士論文をまとめた本である、『惑星宇宙へのロケット』は、次世代のフォン・ブラウン達に影響を与えることになります。

フォン・ブラウン

フォン・ブラウンはベルリン工科大学でロケットの実験をしていました。ロケットが兵器として有用であると感じたドイツ軍は、ブラウンを雇い莫大な資金提供をしたことで、ブラウンは本格的な液体燃料ロケットの開発に取り組むことができました。

こうして完成したのが有名なV2ロケット(A4ロケット)です。これは、戦時中に約3000機が発射され9千人の命を奪ってしまいました。

開発途中、軍事兵器よりも宇宙に向かうロケットの開発を優先しているのではないか、という疑いが軍からフォン・ブラウンに向けられ、1944年に逮捕されます。釈放されるものの、夢に干渉するドイツ軍への懐疑的になり始めたフォン・ブラウンは、ドイツが敗戦することもあり、1945年5月にアメリカに亡命します。

その後アメリカで、V2の2倍の大きさがある、レッドストーン・ロケットを開発しました。レッドストーン・ロケットは、宇宙に行くために十分な性能でした。しかし、アメリカ国内の陸軍や海軍の政治的対立もあり、フォン・ブラウンのロケットは世界初の人工衛星打ち上げを達成することはできませんでした。では、世界初の人工衛星打ち上げは、誰のロケットで成し遂げられたのでしょうか?

セルゲイ・コロリョフ

世界で最初に人工衛星を打ち上げたのは、ソ連の宇宙開発の総指揮者セルゲイ・コロリョフでした。

セルゲイ・コロリョフは1930年代のソ連でミサイル開発を行なっていました。その後冤罪により逮捕されるなど苦節を経て、ロケット開発に参加します。ソ連がドイツから奪ったV2ロケットを基に、R7ロケットなど次々とより性能の良いロケットを開発しました。

元々は兵器として生産されていたロケットであったが、コロリョフがソ連政府に説得したこともあり、1957年に世界最初の人工衛星スプートニク1号をR7ロケットで打ち上げます。当時はアメリカの科学力が世界トップだと誰もが考えられていましたが、この出来事によって、アメリカの科学技術の権威は失墜することになりました。

ジョーン・ベルヌの『地球から月へ』が出版された92年後に、初めて人類の文明は地球から外の世界へ踏み出したのです。

宇宙開発の物語を知れる

以上、「宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八」に収録されている一部のエピソードを、要約しながら紹介しました。

このように、宇宙開発をめぐる物語が掲載されています。
直接的に宇宙にいる生命を考察する本ではないですが、宇宙開発に興味がある方はぜひ読んでみてください。


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